クラシック音楽を知るきっかけ

数あるインターネットショップの中から、
CMS殿牛をお選びいただき、誠にありがとうございます。

私がクラシック音楽を知ったのは小学校の授業中でした。

日比谷公会堂と同じ昭和4年に建てられた校舎には、
防空壕まで設置されていて、音楽室はその最上階でした。

洋風の丸窓から太陽の光が半円形の天井を明るく照らし、
小さなコンサートホールを思わせる音楽室の正面には、
グランドピアノと大型のスピーカーが鎮座していました。

波田野 大介(はたの・だいすけ)
Classical Music Service 殿さまの耳は牛の耳!
運営本部代表およびリユース営業士
Twitter:@ottoklempeler
生年月日 1973年12月19日

出身地 東京都墨田区
ライフワーク クラシック音楽で皆様と環境に貢献すること
好きな指揮者 オットー・クレンペラー
好きな映画 マイライフ・アズ・ア・ドッグ
スモーク
春にして君を想う
好きなスポーツチーム 阪神タイガース
好きなオーケストラ 東京都交響楽団
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
群馬交響楽団
藝大フィルハーモニア管弦楽団
都民交響楽団
オーケストラ・ニッポニカ
オーケストラ・ダスビダーニャ
東京ユヴェントス・フィルハーモニー
前職 テレビ番組制作会社(2002年まで)
最初に買いたかったのは、カラヤンの第九

私は今の東京スカイツリーが見える墨田区で育ちました。

小学生の頃の遊びといえば、公園で禁止されていた野球や、
キャプテン翼にあこがれた友達にくっついて始めたサッカーでしたが、
もともと引っ込み思案の一人っ子だったため、
仲間の輪からなるべく距離をおいて遊んでいる毎日でした。

ある日、近くの図書館をぶらぶら歩いていると、
「視聴覚コーナー」なる場所があるのに気づきました。
小学校の授業で好きだった科目のひとつが音楽でしたので、
カセットテープが置いてある棚で目が止まります。

実はあまり良く覚えていないのですが、
黄色のケースでチャイコフスキーの悲愴交響曲でしたので、
たぶん、カラヤン指揮の録音だったと思います。

音楽室で聴いた「しゅーべると」の交響曲が忘れられず、
クラシック音楽ということで、何も知らずに聴きました。

・・とにかく、全然わかりませんでした。

いつの時代も同じですが、
「クラシック音楽が好き」とポツリ言っただけで、
まず最初に出てくるのは、ネガティブキーワードです。

確かに、聴いたことのあるメロディーが入っている
作品なんて限られてきますし、1曲が長すぎます。

しかし自分の場合、もう少しだけ聴ける動機がありました。

この当時、SHARPのポケコンが流行っており、
雑誌を見ながら何時間もBASICを打ち込むために、
何かを聴かないと、耐えられなかったのです。

まさか、”悲愴”な気分で小さな液晶画面を見る気になれず、
もっと開放的でわかりやすい交響曲を探し始めたところ、
今度は「新世界より」が良さそうだと思い込みました。

きっと当てずっぽうな決め方だったはずですが、
ツカミあり、山あり・谷あり、肝心のサビもありで、
ランドセルを背負いながら「完璧だ」と唸ったものです。

もし私の息子が将来こうなってしまったらと思うと、
今から不安です・・。

そして、世の中はCDに移り変わっていました。

中学生だった私は誕生日のお祝いということで、
1枚だけ買ってもらえることになっていました。

当時は値段がとても高かったため、
どれを買うのか、もうそれは何ヶ月も前から、
図書館の雑誌で調べたり、秋葉原のお店で
怖そうなおじさんたちの脇をすり抜けて、
狭い階段を何度も往復したものでした。

クリスマスがもうすぐだったある日、
ついに中学生のボウズは意を決しました。

「カラヤンで、ベートーヴェンで、9番ください」
とても緊張していたのをはっきり覚えています。

店員さんは「わかりました」と、
一緒にベートーヴェンの棚へ歩きだしました。
これで明日から図書館に行かなくても、
好きなだけ聴くことができると私は喜んでいました。

そして、店員さんが指を向けたその先。
棚の中は・・・・空っぽでした。

今も昔も第九は大人気ですし、カラヤンはまだ存命でした。

まさか売り切れていると考えていなかった自分は、
どうして良いのかわかりませんし、泣きたくもなっていました。

そんな中学生を見た店員さんは、
「このCDもなかなか良いだけどねえ」と、
どこからか1枚持ってきてくれたのです。

スウィトナー?
シュターツカペレ・ベルリン?

クラシック音楽の醍醐味のひとつ、
聴き比べはこのときに始まったのかも知れません。

ちなみに、どこのお店で買ったかお分かりですか?
きっと簡単すぎますね。

週末だけの個人商店

実家は電気工事店で自営業。
祖父は現在の新潟県阿賀町で新聞配達店を営んでいました。

あんな豪雪地帯で、
地元の人どうしを新聞で毎日つないでいたことを
今もたまに思い出しています。

私は墨田区の都立高校を卒業後、大学で映像を学ぶわけですが、
自分はどこかの組織に埋もれる・埋もれたい気持ちでした。
親方気質の父のような性格ではないと思っていたからです。

あまり目立たず、黒子に徹する。
自分にはそれがいちばん似合っていると思う反面、
ストレスはどうしても溜まってしまいました。

そんなときには必ずクラシック音楽を聴きました。

勤めていたテレビ番組制作会社の仕事がピークに達し、
点滴を打ったあとはCDを取り出し、身体をフル充電。
どれだけ助けられたか、多すぎてわかりません。

この会社では資料を手早くリサーチする仕事も多かったため、
自然とインターネットの世界に深く入り込むことになり、
1999年に開始していたYahooオークションを知りました。

アメリカの9.11事件は、突然起きます。

リモコンを震わせながらモニターにかじりついているうちに、
自分のどこかでスイッチが入ってしまったことに気づきました。

翌年、貴重な体験ばかりだった会社は辞めました。

クラシック音楽があれば生き方は変えられる、と思ったはずですが、
この時期の自分は今もよく思い出せません。何かの発作でしょうか。

「次はどこの会社に決めるのか?」
「そこで何をしたいのか?」
「今度は続けられるのか?」

自問自答しているだけで、答えはもちろん見つからず、
ひとまず、ストレスの反動で買う枚数が増えていたCDを
処分することで気持ちの整理をつけようとしました。

当時の実家には、3,000枚のCDが眠っていました。

まず手始めに100枚程度を処分しようと、
両国駅から総武線に乗って中古買取店に持ち込みました。

買取をお願いするのは今回が初めてでした。

購入したときの金額は覚えているので、
頭のなかで査定金額を想像してはいたものの、
思っていたよりも安い事態に、口をつぐみました。

予想通りというか、ある意味で期待通りというか。

私は帰りの電車の中で、つぶやいていました。
「じゃあ、自分で何とかするか・・」

実店舗をいきなり作れるわけもなく、
売り方を試せる方法を考えていたところに、
Yahoo!オークションがあったのです。

数週間後、
オークション終了日を週末に設定していた
自分のCDの出品状況を確かめてみました。

出品数「0」

つまり、全部落札されていました。
驚くような高い金額で。

インターネットの勢いを強烈に感じた瞬間でした。

レコードマップ片手に日本2周

そうなんです、周りましたよ。2度も。

前の会社を辞めたあとの空白期間は、
次のための充電期間でもありますので、
このときだけは日本が狭いと感じたものです。

最初は青春18きっぷで移動しながら、
キャリーバックにCDを詰め込み、
いっぱいになるたびに宅配便で発送。

2度目は車でした。
ハッチバックのオンボロ・スターレットです。
しかもマニュアル車。

大間からのフェリーや関門トンネルだって、
どこでも利用して、車中泊ばかりでした。

持ち物はほとんど、なし。
あるのはレコードマップくらいなものでした。

Yahoo!オークションは日本中のお客様と
簡単にお取り引きできるわけですから、
都内のお店以外のリサーチも大切だと考えたのです。

有り体に言えば、
何がいくらで売られているのか、全部知りたかったのです。

1日15店舗に立ち寄るノルマを課し、
限られた滞在時間で効率よく、売れスジを見つけだす。
もしも安い価格で販売していたらついでに買ってしまう。
当時は知りませんでしたが、これは「せどり」でした。

いったい何をしたかったのでしょう。
がむしゃらに買い続けていました。

出品代行という方法を考えました

日本中のお店を2度周っただけですが、
何となく、見えてきた気がしていました。

自分で中古CDのお店を開く道すじを。

口をつぐんだままだった日のことを思い、
「査定金額に喜んでいただけるお店」をめざし、
開店準備を始めることにしたのです。

しかし、その答えはなかなか見つかりません。

自分が買取希望のお客様の立場になって、
「安い」と怒っている光景を想像していたからです。

査定金額を素人のような高さに設定しても、
販売価格まで高くなってしまうだけで、
自分だったら行きたいと思えないお店になります。

そもそも、まだ開店すらしていない状況で、
買い方・売り方をあれこれ悪い方へ考えすぎる、
いやなスパイラルに入ってしまいました。

お客様が積極的にいらしてくださるための、
何か決定的な動機がどうしても必要でした。

もう一度、思いました。
「どうすれば、査定金額を高くできるのだろう」
「販売価格は抑えなければ、お客様に喜ばれない」

「販売価格・・定額販売・・」

つまり、定額販売をやめれば良いだけの話でした。

Yahoo!オークションにあるのは開始価格のみです。
本当に必要とされている方だけのお手元に音盤が届きますし、
何よりも、当時は落札金額に一定の期待が持てました。

お客様のお品物は、買取査定させていただくのではなく、
Yahoo!オークションに出品させていただき、
手数料を差し引いた落札金額をお戻しする形になりました。

名称は「出品代行サービス」です。

委託販売・委託出品ですと、
「そのまま出品するだけ」のようなイメージがありましたので、
すべて代行するという意味で、出品代行と呼ぶことにしました。

その後、CMS殿牛は2004年に開店し、
2016年までに13万点の音盤をお届けいたしましたが、
原動力となっているのが、出品代行サービスです。

奥深いクラシック音楽の世界を、
もっと気軽にもっと長く味わっていただけるよう、
1枚1枚、じっくりと向き合って進みたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

店主・波田野 大介